叱る方も辛いとか言うけど、それわざわざ言う意味ある?

こんにちは!
ゆうです

よく上司の人が部下に向かって、
仕事で叱ったりしている場面がありますよね?

そこで聞いたことのある言葉なのですが、
「叱ってる人・注意する人も辛いんだ」
ってのがあります。

個人的には、
それわざわざ言わなあかんの?
って思います。

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そもそも「叱る」ってなに?

「叱る」
と同じように使われるものに、
「怒る」
もあります。

まず「怒る」に関しては、
言葉の意味では、
「怒り」の感情状態にある人や、
その感情を周囲に表現している状態だと思っていいでしょう。

つまりは、
怒っているその人のハナシです。

じゃあ「叱る」は何なのか?

叱るは意味的には、
指導的な要素が多いように感じます。

間違ったりしているところを、
強く注意するという感じですかね。

これは、
叱る相手がいるものです。
つまり相手に重点を置いている言葉だといえます。

叱るのは相手のためだから…

叱るのは相手の間違っているところを指摘したりして、
改善をしてもらうことだと考えましょう。

つまりは相手のために叱っていると考えられます。

ここで勘違いしてほしくないことは、
叱っているからどういう指導の仕方、
注意の仕方でも良いんだって思わないでほしいということです。

確かに間違いを指摘することは良いと思います。
今後間違いを減らせるわけですから。

でもそのための手段が相手のためでは無い時があります。

大勢の人前で恥をかくような注意の仕方、
大声で怒鳴る、
物を投げたり叩きつけたり、

これが相手を思っての指導ですか?

手段も相手に配慮をしているか?
これは叱る時には考えないといけないところです。

それわざわざ言わなあかんか…?

さてココで本題ですが、
指導は相手に配慮をした指導ですね。

そこで、
「叱ってる人・注意する人も辛いんだ」
ってのは意味が分からんです。

基本的に人から自分の間違いを指摘されることは、
嬉しくは無いことですね。
むしろ辛いことだと思います。

でもこの辛さと、
叱る側の辛いは同じでは無いでしょう。

叱られた側は、
自分の間違いを指摘され、
自分に対しての自身をなくしたり、
相手に対して不満を抱くかもしれません。
つまりは嫌な気分になる辛いです。

叱る側は、
相手にわかりやすい指導をして、
ある程度相手に配慮した手段を取らないといけません。
つまりは相手に気を使う辛いです。

この両者が感じる「辛さ」は、
このように考えると違いが出るでしょう。

じゃあなんで違う「辛さ」なのに、
あたかも同じかのように言っているのでしょうか?

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我に従えっ!!!

叱ることで相手が嫌な気分になります。
それでも指導を聞いてもらわないといけません。

そのための手段として、
「叱ってる人・注意する人も辛いんだ」
っていう言葉を使っているように感じます。

「叱られて嫌な気分かもしれない、
れも俺も辛いんだ、
だから言うことを聞いてくれ」

ってな感じでね。

要は相手に自分の指導を聞かすための手段ですよ。

でもそれって言わなあかんの?

殴ってる方も痛いんだぞ!

「叱ってる人・注意する人も辛いんだ」

これに似た言葉に、
「殴ってる方も痛いんだぞ!」
ってのもあります。

でも普通に考えてください。

殴られたほうがいてえだろうがっっ!!

それは殴った方とか、
叱った方の自分を守るための言葉じゃないかって思います。

注意したりして相手を傷つけてしまったかもしれない、
で、でも相手のためだから…

っていう自分が少し悪いことをしてしまった、
ってのを緩和するために、
自分も辛いんだって言い聞かせているんでしょ。

そうしないと叱った人は少し悪いことをした、
ってのが頭に残るんです。

そう考えると
実は叱るって辛いかもしれないですね。

まとめ

「叱ってる人・注意する人も辛いんだ」
って言葉

叱っている人が、
相手を嫌な気持ちにさせたかもしれない…
って感じる罪悪感。

これを緩和させるんじゃないかと思います。

ではまた次回!

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